映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』の感想

パーフィディアとロックジョーはお互いに性暴力し合っている関係で、その中でできたのがウィラですよね。パーフィディアはその加害と被害に関係するのかしないのか、単に産後鬱なのかもしれないけど、女児の赤ん坊を育てるのに忙しいボブを見て不安になっていって、活動中にヘマもするじゃないですか。一方、ロックジョーは最初の被害から異常に執着するようになっていて。白人至上主義のお仲間に入らないかと誘われて、異常に執着しているパーフィディアは探さずに、子供だけを捜索する。始末する気でいる子供の写真からパーフィディアの面影を吸引して執着が解けていない感じ。そんな性暴力加害者兼被害者という両面を持っていて、それがそれぞれにかなり悪い影響を及ぼしているような状態で、愛し合っていたわけではない両親(DNA)から生まれた子供なわけで。そのすべてをウィラが知っているわけではないんだけど、なんだか自分が無機質な横線か、記号か、それ自体には意味がないただ二つに振り分けるだけの暗号かのように思えてくるけど(思っていないかもしれません)、自分のことを必死に育てて、おびえながら車から転げおちて、ぼろぼろの車で迎えに来てくれる、暗号とかそういうの教えたくせに忘れちゃう、どんくさい親がいるし、それをまた必死に助けてくれる、かっこいいかわいい賢い自撮り上手なセルジオ先生がいるし、遠くで見守っていてくれていた親の昔の仲間がいたりいなかったりするし、それぞれに違いはあるけど同じく迫害されてきた歴史をもつ先住民族で子供を殺すのはどうかなと思っている賞金稼ぎがいるし、子供なのでちょっと口が滑っちゃうところもあるけど携帯の秘密をできるだけ守ろうとしてくれていた友達もいるし、自分のことを思っていてくれているらしい母親がどこかにはいるし、そして新たに?仲間ができたし。セルジオ先生はなんだか服装もかわいいし。セルジオ先生の建もの探訪もかわいいし。セルジオ先生のくるくるマットもかわいい。自分が無になったときに回復させてくれるものは何かよ。自分ができることって何かよ。セルジオ先生がかわいい。そういうお話でした。それと、性暴力を告発した人に対してあなたもいい思いをしたのでは?という内容の言葉をぶつける人がいると思うんですけど、この作品の中で実際に性暴力を受けて、いい思いをしたと捉えたのではないかと思われる白人でマッチョで権力を持つロックジョーが出てきますけど。死んでいきますよね。そういう安全な場所にいる他者が被害者を軽んじる言説をいわゆるマジョリティ側の体を利用して滅する感じもあったような気もします。

映画『バレリーナ』の感想

お話の内容はもうほとんど覚えていないのでその辺の感想はないです。個人的には大柄で筋骨隆々みたいな人のパワーのあるアクションは見ることも楽しむこともあるけど、それほどつよい関心がなくて、どちらかといえば小回りの利く舞の海スタイルの、きっと不利だろうなという感じの人のすばしっこいアクションが見たいなと思っているので、細やかな身のこなしで転がっては立ち上がって進んでいく姿がたくさん見られてうれしかったです。

映画『シャッフル・フライデー』の感想

前作を見ていないのもあって、比較とかができず、祖母/NEW孫のプランパーネタが面白かったなっていうのが一番の感想なんですが。私はプランパーに手を出しておらず、周囲に美容やメイクに熱心な人もおらず、インフルエンサーとか美容家の人たちが紹介しているのをいや怖いよと思いながら見ていただけだったので、学びになりました。

世代別のかみ合わなさネタもありつつ、親子関係のなかでの分かり合える部分とそうでない部分もありつつ、一つの関係に強く依存はしないけど、より深く共感というか協力し合えるような間柄になるのが同世代みたいな感じもあり、境遇などの違いはそれぞれあるけれど、ベースにある得たいものみたいなのがどの世代でもそこまで大きく変わらないのかもしれないなと思ったりしました。最後のNG集もみんなで笑っていて見ている側も楽しくて、全編通してげらげら笑っていたらあっという間に終わってしまう感じでした。プランパーも試してみようと思いました。

映画『リプリー』の感想

リプリー』はけっこう印象的だった。見終えたときに鳩時計を思い出した。登場人物の行動原理、行動パターンが箇条書きで3つ以内におさまる感じで、変則的な動きがとても少なかったので。その設定が物語には不可欠なのかなと考えてみると、リプリーが物語の最後まで自分の秘密をクローゼットに仕舞わなければならない社会っていうのは柔軟さや変化のない、決まったことを繰り返す機械のような場だよってことに繋がるのかな。

映画『ユンヒへ』を見てから『Love Letter』を見た感想

『ユンヒへ』を見てから『Love Letter』を見た。

『ユンヒへ』と『Love Letter』は突然引き裂かれてしまって捉えきれない未練の様なものを持ったままの元恋人が自分の知らないところで自分が想像するよりもずっと豊かな生活や体験をしていたことを知って、たぶんとても良い意味で程よい距離感の落とし所を見つけることができた、お元気ですかっていうおおまかなお話の流れが共通しているのかな。『Love Letter』は元恋人が気を使ってか隠していて婚約していても教えて貰えなかった過去の体験(小樽に住んでいたことすら教えてもらえていないのけっこうすごいよね)を他人が打ったワープロの文字から知っていって、『ユンヒへ』のほうでは手紙にも書いていたような気がするけど小樽の風景とそこで暮らすジュンとその叔母とその2人の暮らしぶりと仕事場とホテルのバーかなんかをこれでもかと豊かなものとして映しているように見えた。きっと韓国のソウルから見たユンヒの住む街と日本の東京から見た小樽をそれほど大きくは変わらない規模感の地方の街で合わせているんじゃないかなと想像したんだけど、でも、ユンヒがユンヒの住む街には見出せない豊かさやマジカルな感じ?が小樽にはあるっていう描きかたというか見せかたをしているのかなと思った。ユンヒが娘の教育や自分のこれからを見直していくきっかけになるぐらいの。なんか分からないけど、ジュンと叔母の話し方がものすごく遅いのとかも余裕がある感じがするんですよね。ジュンの出てくるシーンでは日本で受ける可能性のある人種差別のこととか同性愛者に向けられる差別のこととかも描かれるのでユートピアというほどではないし、その全てをユンヒが目にしているわけではないんだけど。日本や小樽を理想化しているのならちょっとどう見たらいいのかなと思ったんですが、『Love Letter』を見て、こちらのお話の流れや小樽の風景と合わせて考えてみるとそんなに違和感はないのかなという感じでした。それはそれとして小樽の規模感ってけっこう難しいような。普通の地方の街っていう感じとは違うので。べつに規模感合わせてないかもしれないけどね。

映画『ラスト・クリスマス』の感想

主人公家族が難民であるとか、トム・ウェブスターとクリスマスショップの店主もアジア系の移民っぽいところとか、ブレグジットのこととか、ホームレスの方々のこととか、クリスマスショップって年中オープンしていたとしても遅くても1~2月ぐらいから秋までの1年のほとんどの期間クリスマス感が抜けた街からは浮いてしまうんじゃないかなというところとか、レズビアンカップルと親のこととか、お友達の妊娠に対する思いとか、主人公の心臓移植後の自分との噛み合わなさとか全部居心地が悪いっていう共通点がある話なのかな。なんか居心地良くしていこうね!100%のスッキリを目指していこうね!というよりかは、居心地の悪さや曖昧さをある程度は受け入れつつ協力してできる限り生きていこうねという感じだったのかな。そんな話はしていなくて、ヘンリー・ゴールディングのかっこよさを見せつけたかっただけかもしれないよね。

映画『 ミラクル・ニール!』の感想

世界はそんなに単純に回っていないんだよねと思ったり、一人の人間の知恵ってたかが知れているんだよねと思ったり。複雑な思考をしていると期待していたけど、実はけっこう単純な思考しかしていなかった飼い犬が単純な思考でそのときの最適解かなということを導き出したりもするし、そういう単純なような複雑なような理解できるようなできないような性格や間柄の他者ときちんと対話をしながら、もしくは合わなそうなら接触するのを控えておくなどの判断をしながら共存しなきゃだよねということを感じたりしました。世界中で出来ていないことですね。