映画『リプリー』の感想

リプリー』はけっこう印象的だった。見終えたときに鳩時計を思い出した。登場人物の行動原理、行動パターンが箇条書きで3つ以内におさまる感じで、変則的な動きがとても少なかったので。その設定が物語には不可欠なのかなと考えてみると、リプリーが物語の最後まで自分の秘密をクローゼットに仕舞わなければならない社会っていうのは柔軟さや変化のない、決まったことを繰り返す機械のような場だよってことに繋がるのかな。

映画『ユンヒへ』を見てから『Love Letter』を見た感想

『ユンヒへ』を見てから『Love Letter』を見た。

『ユンヒへ』と『Love Letter』は突然引き裂かれてしまって捉えきれない未練の様なものを持ったままの元恋人が自分の知らないところで自分が想像するよりもずっと豊かな生活や体験をしていたことを知って、たぶんとても良い意味で程よい距離感の落とし所を見つけることができた、お元気ですかっていうおおまかなお話の流れが共通しているのかな。『Love Letter』は元恋人が気を使ってか隠していて婚約していても教えて貰えなかった過去の体験(小樽に住んでいたことすら教えてもらえていないのけっこうすごいよね)を他人が打ったワープロの文字から知っていって、『ユンヒへ』のほうでは手紙にも書いていたような気がするけど小樽の風景とそこで暮らすジュンとその叔母とその2人の暮らしぶりと仕事場とホテルのバーかなんかをこれでもかと豊かなものとして映しているように見えた。きっと韓国のソウルから見たユンヒの住む街と日本の東京から見た小樽をそれほど大きくは変わらない規模感の地方の街で合わせているんじゃないかなと想像したんだけど、でも、ユンヒがユンヒの住む街には見出せない豊かさやマジカルな感じ?が小樽にはあるっていう描きかたというか見せかたをしているのかなと思った。ユンヒが娘の教育や自分のこれからを見直していくきっかけになるぐらいの。なんか分からないけど、ジュンと叔母の話し方がものすごく遅いのとかも余裕がある感じがするんですよね。ジュンの出てくるシーンでは日本で受ける可能性のある人種差別のこととか同性愛者に向けられる差別のこととかも描かれるのでユートピアというほどではないし、その全てをユンヒが目にしているわけではないんだけど。日本や小樽を理想化しているのならちょっとどう見たらいいのかなと思ったんですが、『Love Letter』を見て、こちらのお話の流れや小樽の風景と合わせて考えてみるとそんなに違和感はないのかなという感じでした。それはそれとして小樽の規模感ってけっこう難しいような。普通の地方の街っていう感じとは違うので。べつに規模感合わせてないかもしれないけどね。

映画『ラスト・クリスマス』の感想

主人公家族が難民であるとか、トム・ウェブスターとクリスマスショップの店主もアジア系の移民っぽいところとか、ブレグジットのこととか、ホームレスの方々のこととか、クリスマスショップって年中オープンしていたとしても遅くても1~2月ぐらいから秋までの1年のほとんどの期間クリスマス感が抜けた街からは浮いてしまうんじゃないかなというところとか、レズビアンカップルと親のこととか、お友達の妊娠に対する思いとか、主人公の心臓移植後の自分との噛み合わなさとか全部居心地が悪いっていう共通点がある話なのかな。なんか居心地良くしていこうね!100%のスッキリを目指していこうね!というよりかは、居心地の悪さや曖昧さをある程度は受け入れつつ協力してできる限り生きていこうねという感じだったのかな。そんな話はしていなくて、ヘンリー・ゴールディングのかっこよさを見せつけたかっただけかもしれないよね。

映画『 ミラクル・ニール!』の感想

世界はそんなに単純に回っていないんだよねと思ったり、一人の人間の知恵ってたかが知れているんだよねと思ったり。複雑な思考をしていると期待していたけど、実はけっこう単純な思考しかしていなかった飼い犬が単純な思考でそのときの最適解かなということを導き出したりもするし、そういう単純なような複雑なような理解できるようなできないような性格や間柄の他者ときちんと対話をしながら、もしくは合わなそうなら接触するのを控えておくなどの判断をしながら共存しなきゃだよねということを感じたりしました。世界中で出来ていないことですね。

映画『お嬢さん』の感想

他所から連れてきた子供を外の世界とは隔絶した空間に閉じ込めて何十年ものあいだ性暴力をし続ける加害者とその被害者と格差社会のなかで詐欺の使いっ走りをさせられ性被害も受けている被害者がいて、被害者の二人が自分たちを支配し暴力を振るうために使われた物を破壊したり、ときにはその過程で得た知識やアイテムを利用したりして目標達成に向かっていっていた。人間や地位なども含めた、今自分が持っているアイテムの利用によってお話が展開していくのがけっこう印象的だったような気がします。
なんか権威勾配があるなかで暴力を振るわれる側がお行儀よく抵抗したりお行儀よく沈黙したりしていたら、いずれ今以上に外界からは見えない地下の部屋に連れていかれてしまうんだよって感じだったような。最後の方は気持ち悪い加害者同士で気持ち悪く野垂れ死にすることになりますよ、気持ち悪いね、という流れがあったと思うんだけど、見終えてから少し日が経つと性暴力と気持ち悪い加害者たちのシーンがあんなにたくさんあったのに、記憶のなかではその部分が話の展開の軽妙さと秀子とスッキの華やかさと美しさと艶めかしさとちょっと笑える恋愛模様の強いインパクトで覆い隠されてけっこう薄れてしまった気がする。それと同じ感覚が秀子とスッキのなかでも起きているのなら、それは悪いことではないのかなと思ったけど、現実的には長い期間受けてきた被害の記憶なんてそうそう薄れるものじゃないし、鑑賞者の自分があの酷い加害を矮小化してしまいそうになるって、わたしの問題なのか作品の描き方のせいなのか分からないけど、ちょっと危ういかもとも思いました。事前に内容を調べず見たけど、今こういう状況でなく、女性同士の恋愛映画ももっとたくさん作られていれば、また違った感想を思い浮かべたような気もします。

映画『スパイダーマン:スパイダーバース』の感想

アニメーション映画をあまり見たことがないので、あまりに繊細に作り込まれた映像にぶったまげてしまって物語の内容にたいする感想はそれほど思いつきませんでした。映画を見ている間、自分は今CG+実写の作品を見ているのかCGアニメーションの作品を見ているのか分からなくなる瞬間が何度もあって、スパイダーマンの世界の中に入り込んでいる感覚になるたび漫画みたいに目だけで天井を見上げて「あれ?」と悩んでいました。
どうしていつも近しい関係の人が敵なんだろうとしょんぼりしていたら、作中ですぐに言及されるなどなんとなく全体的に不要な部分は極力削ぎ落としつつ、謎を残しすぎず、鑑賞者を落ち込ませすぎない、分かりやすく子供向け映画になっている感じだった。実写を見たときも、いや高校生相手に何してんのと思っていたけど、アニメーションの造形だとよりいっそう子供に何してくれてんのという気持ちが湧いてくるので大人の立場としては見るのが結構つらかった。なぜこんなこのあいだ高校入学したばかりみたいな子供が他人の生き死にの責任を背負わされなければならないんかと実写で見るよりも深く思うのはちょっと不思議だね。
それ以外には感想が思い付かないのですが、映像にとても驚いたので書き残しておきます。

映画『パルプ・フィクション』の感想

美味しいハンバーガーとジュースをわざわざ選んで食べるとか、断ろうと思えば断れるのにボスのパートナーと一緒にダンス大会で楽しく躍って優勝してちょっと恋に落ちるとか、大切な親の形見を自分の親のように自分のお尻に突っ込んで持ち歩かず信頼するパートナーに託してみるとか、自分を殺そうとしていた人間をわざわざ助けて対等に交渉しようとするとか、自分とは違う生い立ちや価値観を持つ人間と同じ家に住むとか、おいしいコーヒーをいれて飲んだり、客にも味わってもらったりするとか、自分が汚した車をひたすら丁寧にお掃除して、洗っても落ちないほど汚れた服は脱いで捨てて、しっかり体を洗うとか、そういう非効率で面倒で基本的な生活や他人との関わりのひとつひとつがけっこう大切という感じがした。暮しの手帖とかku:nelとかBRUTUSと近い印象を持ちました。